|
|
☆♪☆ 辰子の像 ☆♪☆
 |
伝説の(たつこ姫)にちなんだブロンズ像で院内岳に近い田沢湖西側の潟尻の
湖面に佇んでいます。潟尻は、神秘的な印像にあふれ、ここからは秀峰・秋田駒ヶ岳の
眺めも素晴らしく、一周コースの中継点になっています。また、西岸一帯で新第三系の
最下部である玉川層からなっております。熔岩や火山砕屑物によって構成され、
頁岩や砂岩の薄層を含んでいる部分もあります。岩石は暗緑色がかった変質安山岩と
見られ、辰子の像がある湖岸一帯に露出されております。「辰子」の由来は、最初は
金ヶ沢常光坊の娘の「亀鶴」、常厳坊の娘「鶴子」、金鶴・金鶴子・
神成沢百姓三之丞の娘「神鶴子」などと呼ばれていたことが資料に
残されております。三之丞の娘「辰子」となったのは近年のことのようです。
| 年号(西暦) |
呼び名 |
| 享保20年(1735) |
金ヶ沢常光坊の娘の「亀鶴」 |
| 寛政10年(1798) |
常厳坊の娘「鶴子」 |
| 文政 7年(1824) |
金鶴 |
| 文政 9年(1826) |
槎湖の「金鶴子」 |
| 明治13年(1880) |
神成沢百姓三之丞の娘「神鶴子」 |
| 大正 2年(1913) |
三之丞の娘「辰子」(現在) |
では、このように「辰子」以前に、亀鶴・鶴子・金鶴・金鶴子・神鶴子などと改名されて
呼ばれた説話が誕生したのはなぜでしょうか?その背景には、藤原氏が滅亡した後、
頼朝により新たな東北地方の支配者として鎌倉御家人が送り込まれ、その時に
「熊野信仰」を伴ってきたと考えられるそうです。13世紀から14世紀にかけて
熊野神社系の熊野語り部が、東北地方に、熊野神社の縁起や語り物を携えて東北各地を
唱導して歩き、それが定着して各地の伝説となったものもあったと思われ「辰子」伝説も
その流れを引くものであると思われるそうです。熊野系の語り部のうち、女流唱導者が
「熊野比丘尼」、男性唱導者が「熊野聖」です。熊野系の物語の代表的なものが
「義経記」でその中に義経の妻が山形県瀬見温泉の対岸亀割で「カメツル子」を生んだと
している。別の説では、義経の恋人が「竹鶴」である。また宮城県気仙沼市の観音寺
(熊野那智権現)には、皆鶴娘がウツボ舟で漂着したという伝説がある。このような中世の
熊野系説話の女主人公が、一貫して「皆鶴」から「カイツル」となり「カメツル」と変化して
いるのだそうです。「カイツル」が語られている間に「カメツル」や「カネツル」と訛った
ものでしょう。「亀鶴」は中世の巫女系の説話に多い名称で、女神官である巫女にも
「ツルコ」の名が多い。[ツル」[ツルコ」「カメツル」「ツルカメ」なども、その類型です。
その例としては、久保田城の正(小)八幡(現在の秋田八幡)のミコは「鶴子」であるし、
羽黒祭文の「黒百合姫」にも鳥海山の「ツルコ」がある。このように説話の中の
「ツル」「カメ」は、単にめでたいだけではなく、何等かの性格を寄与されているものと
推定される。このような神社の神官から離れて、秋田をさすらいながら、宗教の宣伝をして
歩いたのが、いわゆる「アルキミコ」で、秋田では盲目でない巫女を「アサヒイチコ」と
呼んでいた。これ等の人々が、各地を歩き廻りながら、いろいろな物語を創作し話して
歩いたものと考えられる。「辰子」の古い呼び名「亀鶴」から、「辰子伝説」が熊野系の
女流唱導者である熊野比丘尼によって創作され伝えられた可能性があるそうです。
「辰子伝説」に因んで、「八郎伝説」について考えると、その内容などから、こちらは
男性唱導者熊野聖によって創作されたものであろうと思われる。やがて起原の異なった
伝説が一つにまとめられて現在の「辰子・八郎」伝説となったのでしょうね。
以上が辰子の名の由来です。


| お奨め度 |
★ ★ ★ ☆ ☆ |
| 当店から |
お車で20分位 |
| 駐車場 |
有り |
| お 店 |
有り |
|
|