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A 謎の多いクニマス

クニマスの生活史について研究された文献はなく、幼魚がどういう姿なのか
については、湖底の魚体を捕獲する手段がないので当時は知る由もない。
しかし県水産試験場は昭和13年まで、クニマスのふ化放流事業を十数年間も
続けていたので、この当事者はふ化から放流までの稚魚の状態ははっきり
見ている。ふ化は「発眼・ふ化」「稚魚浮上」「稚魚成長」の順で大きく
なっていくが、クニマスの稚魚は工付きが悪く「浮上」までは順調だが、
成長段階になるとほとんど死んでしまう。いろいろな方法で飼育したが
いずれも失敗、やむなく「浮上」と同時に湖中放流してやっとふ化事業は
成功している。従ってこの稚魚がどのような経過で幼魚、成魚になるかは
不明だったのである。ところが、昭和13年10月、大島博士がふ化場を
訪れた際、同年春に放流した稚魚群中、数匹がふ化そうの中に残存し、
水アカを食いながら成長、5.2cmほどの稚魚になっているのを発見した。
同博士は「おそらく人目に触れたクニマスの最初で最後の稚魚だろう」と
その論文「田沢湖の魚群」の中で述べている。この稚魚は背部が淡灰色。
下腹部は淡黄白色、全身が微細な班点に覆われ、側線にはマス類の特徴で
あるダ円形の黒班が9個並列していたらしい。また、側線の上下に斑点が
ないことが他のマス類の稚魚にはない特異な点だといっている。
大島博士には、こうした特徴などから「直感」としてベニマス(クニマスの
母系)、サクラマス(ヤマメの母系)、ビワマス(アマゴの母系)などとは
全然別個の種類と思うっと述べている。では、わが国近海のマスのどの
種類が田沢湖に陸封されたのであろうか。大島博士は「このような稚魚を
持つマスはどこにも見当たらないのでその点を明らかにするのは難しい」と
言っていた。そして「他の例のない希種であり、系統学的にも貴重な資料」
だとし、「天然記念物に指定しておくべきだと思う」と述べている。
今となっては手遅れだが、戦争に向かって狂奔していた当時の世相からは
一魚族のため田沢湖を守れといっても通らない時代すべては国策の名の下に
毒水が入ってしまう。大正14年、ジョルタン博士によってペニマスの
陸封で生じた一変種とされ、オンコリンカス・カワムレーの学名で世界の
学界に認知されたクニマスはもう二度と見ることはできない。べニマスの
陸封変種説に疑問を投げた大島博士は「今になっては陸封変種説が正しいか
どうかを確かめる由もない」としながらも、その後の幼魚発見などで
「サケ・マスのこれまで知られたどの種にも合致しない変種である」との
確信を持ち、暗にべニマス陸封変種説を退けている。しかしジョルタン博士の
命名した学名オリンコリンカス・カワムレ一については
「この学名を永遠に残すことに少しもちゅうちょしない」と、
ジョルタン博士の功績を認めている。

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