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D クニマスは美味しかったのか?

クニマスは別名キノシリマスと呼ばれた。キノシリとは燃え残った薪のことで
「木の尻(しり)」という意味だ。田沢湖伝説のヒロイン辰子が蛇(じゃ)体となったのを見た
辰子の母が「情けないことよ」と湖に投じた燃えさしに尾ひれが付いてできたといい
伝えられている。このキノシリマスが国鱒(クニマス)に改名されたのは、藩主へ献上の際
「木の尻」では名前が悪いためだと角館町の考古学者故武藤鉄城氏が述べている。
文化2年(1805年)8月23日の佐竹義文傍目記(角館の佐竹北家)に「国鱒塩引き5匹、
箱入れにし、昼立ちの飛脚で御屋形様へかねての約束により献上」とある。
御屋形様とは秋田藩主佐竹義和を指す。 翌々日の25日には「藩主はことのほか
喜ばれた。残りのクニマスは江戸藩邸へ移送した」との秋田薄家老からの礼状が
屈いたことが記されている。さらに、文化8年(1811年)秋田藩主佐竹義和が田沢湖
見物したことが、その遊覧記「千町田の記」にある。「四方山をめぐらい中に湖水を
たたえたり。回り四里水滴らかにして千尋(ひろ)の底も曇りなき明鏡とやいわん」と
この文才で鳴る殿様が書きとどめている。もちろん殿様の食ぜんにクニマスが上ったことは
容易に想像できる。こうして角館佐竹北家から久保田の秋田藩主、さらに江戸藩邸へ
送られ「珍しい魚」として他の大名たちへの贈り物にも使われたらしい。殿様の食ぜんに
上るとあれば、下々では「ぜいたく品」であり「もったいない」とあってなかなか口にできない
湖岸の漁民も換金魚として大切に扱い、豊漁の年でも冠婚といった特別のとき以外は
食べなかったという。大半は雑魚箱に入れて角館町に売りに出るが、 その角館でも
買う家は地主、上級武士、豪商など決まっていた。このため売り子は「軒打ち」と
称い、あらかじめ買ってくれそうな家を覚えておいて売り歩いたという。一般が口に
するのは妊産婦か病人に限られており、田沢湖町田沢、元田沢湖町役場総務課長の
羽川さんは「子供のころ、よく取れたものだが、なかなか食べさせてもらえなかった。
それでも風邪をひいたりすると、「早く治れと母が出してくれた」と語っている。
深所に生息するためか皮が硬いのが特徴で、肉は反対にヒメマスよりも柔らかい。
羽川さんも「ヒメマスよりはるかに美味かった」と語っている。皮の硬さについては、
湖底に常住しており水圧によるものとする説が一般的だが県水産課の鷲尾達技師は
「水圧の影響なら身も堅くなるはず。むしろ、皮の硬さは、クニマス本来の
「特徴」との見方をしている。

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