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E クニマスとアユ

玉川毒水の導入とともに田沢湖から姿を消した「幻の魚」はクニマスだけではなかった。
毒水導入前の田沢湖は魚族の宝庫でもあった。このなかで昭和13年、魚類学の権威
大島博士が発見したコアユはアユの陸封種としてクニマスに次いで珍しいものだった。
大島博士は同年10月中旬、ワニマスの採卵の目的で田沢湖を訪れ 田沢湖春山湖岸を
ふ化場に向かって歩いて行くうち、浅瀬に小魚が群れているのを見つけた。この小魚が
琵琶湖沿岸に寄せてくるコアユに似ているので、ふ化場に駆け込んで網を持ち出し
雄2匹、雌2匹を捕まえた。まぎれもなくコアユだった。湖岸の浅瀬に産卵雌雄ともに
熟魚で、湖岸の浅瀬に産卵中のものだった。博士は土地の古老たちに聞いたが
いずれも「この湖にコアユがいるなど信じられない」と答えたという。
博士は「田沢湖の魚族」の中で「時は晩秋で河川のアユは産卵のためことごとく
口近くへ降っている時期でかりに潟尻川からアユが湖中に進入する機会があったとした
ところで、それらが湖にとどまっているはずがない。してみれば琵琶湖と同じく田沢湖にも
またこの湖で一生を暮らすコアユが生息していたわけで、田沢湖がコアユの自然発生を
うながす好適な条件を持っていたことは疑う余地がない」と述べている。
学術的にも貴重コアユは琵琶湖の特産で、明治30年代、進化論研究で有名な動物学者
石川博士に発見された。琵琶湖の「スズメ焼き」がこのコアユを焼いたものだが、
石川博士はこのスズメ焼きを見て河川のアユの陸封による退えい的わい小種と推定、
自費でコアユを取り寄せ東京・多摩川に放流したところ、コアユの稚魚は見事に大きな
アユに成長、推定の正しさを立証した。当時(昭和13年)、鹿児島県の池田湖にも
コアユはいたが、これは琵琶湖から移植したもの。田沢湖にアユが生息していた記録は
絶無であるうえ、コアユを琵琶湖から移植した事実もない。それにもかかわらず、コアユの
熟魚が姿を現した現実に大島博士も「学界の驚異であり実に珍しいことだ」と述べている。
琵琶湖のコアユといえば、淡水養殖界のホープであり春ともなれば全国各地の河川に
放流するため大量の稚魚が琵琶湖から送り出される。歴史に「もし」は禁句だが、
それにしても「もし」玉川毒水を導入せず昔のままの田沢湖だったら−という思いは
コアユーつを取り上げても募るばかりだ。魚類学者として田沢湖を愛した大島博士に
とっても思いは同じわけで「コアユが自生するこの湖に琵琶湖のコアユを移植すれば
増殖の可能性は十分あった。この山間の神秘境が東北六県はおろか、関東、北陸地方へ
種アユの供給地として巨歩を踏みだす機会を持つことができたはず。
しかし、すべて後手だった。田沢湖を弔うばん歌に送られクニマスもコアユも姿を消した」と
悲しんでいる。 大島博士のコアユ発見は田沢湖葬送曲の一楽章にとどまった。

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