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I 最後に・・・

大正時代の漁獲量の記録が県水産課にある。それによると、ウグイが一番多く、
7万4千匹、3千700円。次いでヒメマス3万匹、7千500円、クニマス1万8千780匹、
千695円が主なものだ。このほか、オクウグイ800匹、160円、イワナ520匹、130円、
クニグロマス 253匹、63円-などとなっている。合計12万4千353匹、1万6千248円。
米1俵10円の時代の1万6千余円は、米千600債分余りだ。この数字は湖民がヤス、
奴(ど)、巻き網などで取ったものは含まれておらず、本格的な刺し網専門の漁業者
(漁業組合員)は当時65人だった。漁船数は丸木舟32隻漁具としてはウグイ刺し網
1戸10端、マス刺し網1戸20端と記録されている。田沢湖は昔、「楼(さ)湖」と呼ばれた
こともあり、ここの漁業組合は楼湖漁協といった。昭和15年1月、電源開発、農地開拓の
国策で玉川の毒水が導入され、数年後には田沢湖の魚類は死に絶えた。当時といえども
漁民への補償なしでは毒水導入は 決行できない。導入前の昭和13年、漁協代表理事
千葉氏と、東北振興電力理事吉見静一氏との間で補償交渉が行われ、同年9月4日、
酒井県経済部長を立会人として妥結した。それによると@漁協は田沢湖利用の発電
水利施設に同意し全面的に協力することA電力会社は発電のためにする一切の損害の
結果と、現在、将来に被ることがあるべき化学的、物理的原因による一切の損害の
補償として漁協に6万8千500円を支払うB前項で述べたと同じ原因で「大なる損害」を
生じたときは両者が誠意を持って協議し善処する−という骨子。組合貞数は大正7年と
変わらず65人だった。幻のクニマス漁法やがて終戦、民主主義の時代となった。
昭和22年、補償問題が再燃する。田沢湖漁業会(名称が変わったが漁協と同じ)から
日本発送電(東北振興電力を吸収)の大西英一総裁に陳情書が出された。それによると、
毒水導入で魚族が死滅、漁協組合員は生計の道を失った。これは前に調印した締結書の
Bにある「大なる損害」に当たるので、推定損害 821万7千円を補償して欲しいと
いうものだった。これに対い日発側は組合員1人当たリ1万円、計65万円の見舞金を
出そうとの解決案を出したが、漁業組合側は要求との差が大きいとして納得しない。
結局、24年8月16日、漁業権を日発側が195万円で買い取るという形で妥結、
漁業会長鬼川氏(当時の生保内村長)と大西総裁の間で蓮池公咲知事と根本代議士が
立会人となり、知事公舎で調印が行われた。毒水導入後9年で、歴史を誇る
田沢湖漁民はいなくなつた。クニマスが死滅した時期は不明だが、湖水のPHから
逆算すると、昭和22年には1匹も生息できないはずと県水産課の鷲尾達技師は
推定している。こうして田沢湖から、いや、この世からクニマスがいなくなった。
旧田沢湖町では懸賞金を掛けてクニマスを探した事があるが、一匹も見つかっていない。

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