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C 深さ日本一を誇る田沢湖

湖の深さの計測は、明治時代は麻ナワを用い、大正、昭和になって鋼索が使用され、
さらに最近では電波測定になって確度は一層高まった。田沢湖の場合、計測の進歩と
ともに深さがその都度書き換えられ、最終的には423.4mとなった。ところが、透明度は
このようにピシャツといかないのが特徴だ。計測器も明治時代からほとんど進歩して
いないし計測の時期や晴雨などによっても違った数字が出る。明治42年8月、初めて
田沢湖の深さを調べた田中阿歌麿博士はその水の透明さに驚き、透明度調査も
実施した。このとき得た透明度は35.5m。当時世界一といわれたアメリカのターホー湖の
32.7mを抜き、一躍世界トップの座に躍り出た。湖沼の深さや透明度の測定は、
アメリカが先進国で、ターホー湖の透明度を測定したのは明治6年(1873年)8月のこと。
そのころは透明度など知らない国も多くもちろん当時は湖沼学も確立されていない。
「世界一好き」のアメリカだけにターホー湖の透明度世界一を全世界に宣伝したことは
当然といえる。それから36年後にこの記録が田沢湖によって2.8mも
破られることになった。アメリカは無念の涙をのんだといえばオーバーだが、少なくとも
「世界一」を奪われた悔しさが深い分だけ、日本側の喜びも大きいわけで、当時は全国の
話題を集めたという。さらに、翌明治43年11月、県水産試験場が測定した結果、
39mの記録を得た。ターホー湖よリ 6.3mも多い。野球でいえばタメ押し点ともいえる
この記録で名実ともに世界一の座が確定した。しかし、透明度は深度計測のように
ピシャツといかないことは前にも述べた。湖沼学の吉村博士は「田沢湖の湖沼学的概観」
のなかでこの39mに疑問を投げている。理由として @県水試はその後毎月
観測しているが夏秋にかけてそのような大きい透明度(39m)が測られたことがない
A特に11月は最も不透明な月であるB明治43年11月は特に雨量が少なかった
記録がない(雨が少ないと透明度が上がる)−などを挙げている。
そして田沢湖の透明度は明治時代の測定値を度外視し、昭和6年4月26日に
得た33mを最大値と考えるべきだと述べている。 ともあれ、当時の日本は
日露戦争にはようやく勝ったものの、世界的にはまだ三流国にすぎなかった。それだけに、
たとえ湖の透明度にすぎないとはいえ世界一を持つたことに国民が狂喜したのは
容易に想像できる。だが、この世界一の座は1年10力月の生命でしかなかつた。
明治44年6月、ソ連のバイカル湖によってあっさりその座を奪われたのだ。

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