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D 田沢湖の透明度はどうなった?

田沢湖に代わって世界一の座に就いたのはソ連シベリアのバイカル湖だ。
帝政時代の明治44年6月の計測で、40.5mの透明度を記録している。バイカル湖と
いえば広さ33.000平方km。田沢湖(25.7平方km)の1,284倍。
深さは世界一で1,620m、田沢湖の3.8倍。広さといい、深さといい田沢湖は足元にも
及ばない。湖岸にはソ連アカデミ−の湖沼学研究所があることでも有名だ。
世界−の座に就いたこの 「超大物」のバイカル湖も昭和6年8月31日、北海道の
摩周湖によってその座を奪われる。41.6m、バイカル湖を1.1m超えたのだ。
この時期、日本は透明度どころではない。軍事大国にのし上がった日本は満州事件の
真っ最中。世相も大戦前夜の緊迫したふん囲気だった。戦艦の主砲、航空機の能力と
いった戦争にかかわるものの「世界一」以外はさして問題にならなかった。この間、
田沢湖はバイカル湖の40.5m、アメリカクレーター湖の40m、摩周湖の41.6mと
追い抜かれ、仮に明治43年の39m(疑問があるが)を最大値としても世界 4 位にすぎず
既に日本一のが印象に残っているとみえ、田沢湖を世界一の透明度と思い込んでいる
人が多く昭和に入っても世界一はともあれ、少なくとも日本一は間違いないと
信じ込まれていた。湖の透明度などどうでもいい軍国時代に王座を奪われたことが
理由といえる。透明度はセッキ円板、あるいは透明度板と呼ばれる直径30pの白色の
円板におもりを付けて水中に沈め、肉眼で水と区別ができなくなる深さで表す。
これは海水も湖水も同じで、明治時代から変わっていない。田沢湖の場合、
明治時代の35.5m、39mは非公認記録で、昭和に入ってi則られた33mが
その公式記録だが、これもその後二度と記録されていない。吉村博士によると
一番透明なのは冬の終わり。融雪水が湖水に入り込む寸前で、大体30m前後、融雪水が
流れ込むと一時濁り、夏は雨さえ降らなければ20bぐらいになるという。
冬になると雨水はみんな雪になって山に積もるので透明度が大きくなる。
また場所によっても差があるという。吉村博士の測定によると、昭和13年3月が30m、
同10月は同じ場所で半分以下の13mに落ちている。発電工事が始まった同14年には
3月に22m、6月には18mに落ち同博士は「わずかな湖岸の堀り崩し工事によって
いかに美しい自然が汚されるかが具体的に示されたのである」と透明度の低下を
嘆いている。大曲高校生物部の50年の透明度調査では2月に12mになったのが最高値
9月は7mとついに一ケタ台に落ちている。吉村博士は、昭和20年12月長野県諏訪湖の
氷上で観測中、氷が割れ殉職されたが、最近の田沢湖の透明度の低下を
地下でどう見ているのだろうか。

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