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G 死の湖、田沢湖は復活できたのか?

玉川毒水の排除に「土水路ため池方式」を採用して失敗した県は、昭和10年、
除毒対策の権威の三浦彦次郎博士の勧告により、地下溶透法の検討に入った。
土水路に毒水を通すとすぐ崩壊い真水だと崩壊しない原因について三浦博士は
「玉川除毒の沿革」のなかで「粘土は毒水と化学的に作用し溶解するのが、
土水路崩壊の原因」と述べている。地下溶透法はこの原理を逆手に取ったものだった。
つまり、粘土が毒水と化学的に作用することは毒水をその作用した分だけ
除毒することになる−という理論。実験を繰り返した結果、PHl.1の毒水が250m地中を
溶透するとPH2.8に除毒されることが分かった。粘土や岩石粉末が毒水に作用するわけで
県や農林省も経済的除毒法として注目した。 この方法は導水路の建設と
その修繕にだけ費用をかければ済むという経済性が特徴で、県は昭和12年、農林省の
指導のもとに、4年連続の県営事業として着工、翌13年6月から一部除毒を開始した。
この除毒と併行して玉川を田沢湖に入れる導水路工事(昭和15年1月導入開始)
生保内発電所工事が進められたことは前に述べたが、ともあれ、この除毒法は大きな
効果を上げた。 当時の非除毒時と除毒時の玉川のPHを比較した記録によると、
玉川のかんがい用取水口のある若松堰、上堰付近で非除毒時PH3.9〜4.22だったのが、
除毒時5.6まで上がった。(酸性が弱まる)。しかしこの除毒法にも弱点があった。
導水路は塩焼き土管を耐酸セメントで接着使用したが、水路が雪崩を受けやすい場所で
あったため毎年のように破損しそのたびに補修のため除毒を中断しなければならなかった
破損、修理のイタチゴッコは30年まで続きその後、本格的修理を行わなかったため
玉川流域の酸性化が進んだがこの方法は弱点さえ補えば多くの長所があるため現在も
一部で実施されている。 玉川導入前の田沢湖のPHは湖沼学の権威吉村博士の
昭和12年から13年にかけて400m深度までの観測では6.2〜6.8、三浦博士の
同12年7月9日の測定では6.55だった。導入後の田沢湖は次第に酸性化し
最悪時4.0にまでなる。 上流で除毒が進められているといっても、修理、中断が相次ぎ、
最悪時にはPH3.2という強酸性の玉川がモロに田沢湖へ注がれる。玉川導入とともに
真水の先達川も田沢湖へ導入して酸性を薄めようとしたが、これではまさに焼け石に水の
状態。こうして田沢湖は平均PH4.6の酸性湖に変容してしまった。 この導水によって
世界で田沢湖にだけしか生息していなかったクニマスも絶滅してしまう。
またイワナ、ウナギ、コアユなども死に絶え、「死の湖」とり今もあまり魚がいない状態です。


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